「わらび」採り(1)

南部町法勝寺町を通り過ぎて・・・

安来市伯太町の奥の須山の里に向かった(*´д`*)ハァハァ・・・

昨年までは・・・~(°°;)))オロオロ(((;°°)~

順調に「わらび」を採る事ができたが・・・(u_u。)

今年は山陰各地が豪雪にみわわれ、山菜どころではって(。>0<。)

3月下旬に「何時もの処」を覗いてみた・・・

「やっぱり・・・」今年は駄目かと 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 

思った(´;ω;`)ウウ・・・

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DV

○○ ○○○ 様

 貴女は

ごく、ごく普通の女子高校生で、精一杯背伸びをして

足元がグラグラしていて不安定だが・・・それでも「いい子を演じたい」

そんな子です~(°°;)))オロオロ(((;°°)~

< D・V >

社会的(性・凶悪・虐待)犯罪です 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

貴女だけで「悩み、我慢し、隠す」ことが犯罪者と母親に対する「思いやり」

になると思ったら「大間違いです」。

また、貴女だけが「抱える」問題ではないと思うし、貴女の考え(判断)で解決

する問題でもありません。この問題に関し「穏便に内緒」にしたい貴女に・・・

私は、幻滅を感じます。

そして、この犯罪(DV)の配給者のお母さんは、

このDVが貴女達を「むしばんでる」事を知っているわけだから、

同性として、母親として、貴女達のことを

「もっともっと」真剣に悩むべきです・・・が・・・。

あれ以降も「彼との仲が」続いているのは、

お母さんのどうしようもない「女性としての性」で、

非常に困ったものです。

彼のそんな「癖(へき)」は治りません!

貴女は、勇気を出して・・・

お母さんの相手の彼から「DV」が有る事を、

身内に「事実を有りのまま」を話すことです。

そして「貴女達の身の振り方」を相談することです。

とくに「妹の身の振り方」をです。

貴女が「妹の今後の生活の面倒を見るというのは」

ナンセンスで大きな勘違いの「思い上がり」です。

貴女は妹の保護者には「なり得ない」のです。

貴女は貴女です。

妹は妹です。

4/10 彼女からのメール

― 私やっぱり先生と完全に縁を切るのは嫌です・・・ ―

「わし」からの返事

現段階の、このままでは貴女と私は「次元」が違い過ぎます。

上記「DV」問題を早く解決して、貴女が「いい子ぶる」偽善者でなくて、素直で率直な貴女になったとき、私は貴女を芯から大切に思い、精一杯の「愛」を捧げます。

/11 彼女からのメール

私は先生に
言われて、
家族に全部
お話しました。
最近は暴力も
なくなってきました。

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山菜採りと蕎麦食い

山菜(ワラビ)採り

南部町法勝寺から安来市伯太町須山を抜け

伯太町十年畑村の道沿いに

地元の人が残してくれている山菜(ワラビ)を

「わしと家内」の年寄り二人分 ( ̄ー ̄)ニヤリ

「味噌汁の具」と「ひたし分」があれば・・・( ^ω^ )

それで充分と探し採りをした。

西比田町の「わしの秘密の場所」も

覗いてみて・・・(゚ー゚)

型のそろった太いワラビを揃えられると思った。

時間を見たら、丁度昼時になっていた。

瞬間、蕎麦(そば)を食おうと思った。

「わし」は「出雲蕎麦」が大好きで ( ̄ー ̄)ニヤリ

奥出雲には「蕎麦」を食いに、よく出かける。

横田の「一風庵そば」と八川の「八川そば」で、いずれも一品。

今日は祝日。

果たして時間待ちせずに「食べること」ができるか・・・

とにかく、現地へ直行!

やっぱり予想していたように両方の店とも

相当の時間待ちをしないと食べれそうもない・・・ので、

諦めて・・・向かう処は秘密中の秘密の・・・店

広瀬町のそば処「久保屋」。

案の定、お客は「いなかった」

待たずに、「わし」のお気に入りの

「割りご4枚」を頼んで食した。

美味かった (・∀・)ニヤニヤ

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贈る言葉

 「まだらボケ」の入り込んだ (○゚ε゚○)

「解離性障害」の不真面目人間(謙遜)内藤煕躬先生は

皆様に簡単な学年末試験を用意しました ( ̄ー ̄)ニヤリ

どうぞゆっくりゆったり召し上がって下さい (* ̄ー ̄*)

満点(天)食感を信じています ( ^ω^ )

そして、皆に「贈る言葉」は森羅万象と真実と心

森羅万象は天地自然界(宇宙)に存在する万物や

あらゆる現象が雲海の波間に漂い、霞がたなびき限りなく

混然一体となっている様子を言います。

あなた方の存在も、私の存在も

この森羅万象的視野感で眺めたときは

塵にも、点にもならないほどの

「ちっぽけな、ちっぽけな」存在です。

人間の存在は「ちっぽけな、ちっぽけな」存在です

人間の誕生は乾いた砂漠で片手の指間を広げて

何億もの乾いた砂を掬い上げ

砂の中で残った、たった一粒の乾いた

砂(砂金)だと言われています。

生まれてくる人間の「魂と命」の尊厳

海より深く、山よりも高く

ものごとの真実を神秘として含んでいます。

人の命は、食で支えます

その食を得るための智慧として、人間は人間として

最低限度の真実を求めようとします。

それが「ものごとの真実のありよう」です

ものごとの真実は、哲学(真)・倫理(心)・論理(途)を

表裏一体なものとして「ありよう」を「心で」とらえ

心がすべてのものであり、すべてのものが心であることを

示しています。

それぞれの人たちの「真実の捉え方」の差は有ったとしても

真実を追究していくのは

人間として当然の規範(摂理)だと思っています。

そのうち貴女達(男1名を含む)にも、愛する人が出来ると思う。

“50歳になっても、60歳になっても

あなたの顔を見ているのが大好きで

自然に手がつなげそうな人、この人がいるから

この人が私の心の中に常に住み込んでいるから

全ての人に優しくでき

全ての人を大切に思ってゆける

そして安らかな気持ちになれる。”

これからの318名の皆様は

全ての事に価値を見出し、それを自分の宝にしてゆける

そんな過ごし方を、そんな生き方をして下さい。

2009129日(木)

2限目財務諸表学年末(卒業)試験にて「贈る言葉」

                                                     

chinabd1941802@sea.chukai.ne.jp

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姥捨て山(2)

今でも

楢山節考「姥捨て山」があったり

神風特攻隊があったりしたら

イの一に志願して逝く気に成るだろうなと考え・・・たのだが、

「ひろみ狐狸庵爺」自身、このことを神仏化してしまっていた事が

切なくて虚しい!

「姥捨て山」が現実に・・・

小説の世界だと思っていたが、41日から高齢者に楢山節考「姥捨て山」の後期高齢者(長寿)医療制度の導入である。

食料の乏しい村の掟として70歳以上になると、口減らしのため山に捨てられた「楢山節考」が発表されて、50年近くになる。

民間伝承の「姥捨て山」を主題にした作品である。

75歳以上は「公費の負担がかかり、役立たずの人間だ」、つまり「姥捨て」と言われているようだ。

政治家は口を開けば「国民の目線で国民のために民意を反映する」と言うが、自分や党の保身のみに走らず、高齢者を守ってほしい。

花も嵐も越えて今の日本の繁栄に貢献してきた大正・昭和一桁生まれの人たちの根性が花開くときだ。

後期高齢者と言われると、人生の後期、末期に近いと思われ暗い気持ちになるが、それで批判を受け長寿と改称されたようだが、「ひろみ狐狸庵爺」は後期を自分自身が光り輝く「煕躬(こうき)」として、介護の世話にならぬよう頑張りたい。

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拝啓  恋人   様

拝啓 恋人 様

貴女を「自身幽学」の集大成のラストバランスとして、「ものごとの真実のありよう」が「芯心」で理解できる国際人に育てようと思いました・・・。

 だが、貴女の心が見えないままに「貴女の夢想に付き合され」翻弄されました。

従前(先行)投資も試みました。

実務的にも精神的にも大敗(大損)し、現在(いま)は「してやられた」という気持ちになっています。

侘びしくて、寂しくて、空しい。

現在(今)は静かに深く潜行していれば、やがて時は流れ「今まで・・・が」なかったかのように「ものごとの真実のありよう」は忘れ去られてしまいます。

 

森羅万象は天地自然界(宇宙)に存在する万物や、あらゆる現象が雲海の波間に漂い、霞がたなびき、限りなく混然一体となっている様子を言います。

貴女の存在も、私の存在も、この森羅万象的視野感で眺めたときは、塵にも、点にもならないほどの「ちっぽけな、ちっぽけな」存在です。

人間の存在は「ちっぽけな、ちっぽけな」存在ですが、人間の誕生は、乾いた砂漠で片手の指間を広げて何億もの乾いた砂を掬い上げ、その中で残った、たった一粒の乾いた砂(砂金)だと言われています。

生まれてくる人間の「魂と命」の尊厳は、山より高く、海より深く、ものごとの真実を神秘として含んでいます。

人の命は、食で支えます。

その食を得るための智慧として、人間は人間としての最低限度の真実を求めようとします。それが「ものごとの真実のありよう」です。

ものごとの真実は、哲学(真)・倫理(心)・論理(途)を表裏一体なものとして「ありよう」を「心で」とらえ、心がすべてのものであり、すべてのものが心であることを示しています。

それぞれの人たちの「真実の捉え方」の差は有ったとしても、真実を追究していくのは、人間として当然の規範(摂理)だと思っています。

敬 具

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大航の受験番号

高校受験の番号!

高校合格したよ~ッて、こんな(写真)メールがきた ( ̄ー ̄)ニヤリ

番号も高校名も分からん・・・(≧∇≦)ってメールしたら・・・

番号は79で

高校名は県立高岡高校

Mini_110316_1230_3 ( ̄ー ̄)ニヤリ

79があったでやんス (・∀・)ニヤニヤ

良かったでぁりんス (´,_ゝ`)プッ

だけど・・・ちょっと・・・

ぼけとぅへんか~ (ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ

爺バカで ( ̄ー ̄)ニヤリ

さっそくインターネットで

富山県立高岡高校を検索して見た (v^ー゜)ヤッタネ!!

chinabd1941802@sea.chukai.ne.jp

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風の又三郎

風の又三郎

谷川の岸の小さな小学校に、ある風の強い日、不思議な少年が転校してくる。少年は地元の子供たちに風の神の子ではないかという疑念とともに受け入れられ、さまざまな刺激的行動の末に去っていく。その間の村の子供たちの心象風景を現実と幻想の交錯として描いた物語。

主な登場人物

風の又三郎

 地元で伝説となっている風の神様の子。神というよりも悪霊に近い存在。作品中では、謎の転校生のあだ名であり、直接登場しないものの、子供たちの精神世界における主役となっている。

三郎

 本名高田三郎。村に転校してきた謎の少年。尋常小学校の5年生だが、厚かましい友人に一本しかない鉛筆をやったり、口論の後、先に謝ったりするいさぎよさをもっている。人の気を引こうとする面があり、意地悪に対しては仕返したり、口論で言い負かし、手加減を忘れて友達を溺れさせたりするような少年。鉱山技師の子と説明されるが、村の子供たちは彼を、風の又三郎ではないかと怪しむ。

嘉助

 尋常小学校の5年生。ひょうきん者でリーダーシップがあり、三郎のことを又三郎だと最初に指摘した張本人。

一郎(孝一)

 学校でただ一人の6年生。級長であり、皆からは一目置かれている。嘉助の従兄弟。一郎には兄もいる。最初一郎は嘉助の又三郎説を否定していたが最後には確信が持てなくなる。

耕助

 三郎をいじめて、仕返しを受けた挙句、口論となって負けてしまう。

あらすじ

九月一日(木)

 「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」谷川の岸の小学校の朝。二人の一年生が登校してきて、校庭から教室の中に見慣れぬ姿の少年が見つけて泣いてしまう。嘉助たちもやって来る。六年生の一郎もやって来て教室の中の少年に声をかけるが通じない。風が吹いてきて少年はにやりと笑う。嘉助が風の又三郎だと叫び、みんなもそう思うが、外のけんか騒ぎのうちに少年は姿を消す。そのうちに先生が出て来て、あの少年もその後からついて来る。みんなで整列したしたあと教室に入ると、先生から少年は北海道から転校してきた高田三郎(五年)だと聞く。教室のうしろに三郎の父が現れ、三郎と一緒に帰っていく。先生は三郎の父が鉱山師であるという。

山間の小さな学校(分教場)に変わった姿の転校生(高田三郎)が現れ、みんなは伝説の風の精、風の又三郎だと思う。

九月二日(金)

 一郎と嘉助は朝早くから校庭で三郎を待つ。三郎がやって来てみんなにあいさつをするがみんなは返事をしない。三郎が校庭を歩測するように歩くと、つむじ風が起こって、嘉助は「やっぱり又三郎」だと叫ぶ。教室の中で佐太郎が妹のかよの鉛筆を横取りすると、三郎が佐太郎に自分の鉛筆を与える。一郎はそれを見て変な気持ちがする。授業が始まり、数学では鉛筆のない三郎が消し炭で計算している。彼(高田三郎)は学校で少し変わった態度を見せ、みんなを緊張させる。

九月四日(日)

 一郎はみんなをさそい、途中で三郎と落ち合って上の野原に向かう。途上、三郎はみんなのわからないことを言う。上の野原に着くと一郎の兄さんが迎える。兄さんは土手の中から出るなと言う。嘉助は土手の入口の丸太を外してしまう。三郎は放牧馬を恐がるので冷やかされ、それなら競馬ごっこをしようと言う。土手から逃げ出した馬を三郎と嘉助が追う。嘉助は悪天候の道に迷って恐ろしい谷に行き当たり、そのあととうとう倒れてしまう。そのとき、三郎がガラスマントを着て空に舞い上がるのを見る。一郎の兄さんが探しに来て嘉助と三郎は助かる。帰り道、嘉助は三郎が風の神の子だと言うが、一郎は否定する。

九月六日(火)

 放課後耕助がみんなをさそい山葡萄採りに行く。耕助はいやいや三郎も連れて行く。途中、畑のタバコの葉をむしった三郎を耕助はしつこく非難する。葡萄の藪で耕助はみんなあんまりとるなと言うので三郎は一人まだ白い栗を取る。三郎が木の上から耕助にしずくをかけて言い争いになる。耕助はこの世に風などいらないと言い、三郎は一つずつ例を挙げろと迫る。最後に耕助の答えがおかしいので笑いとなり、二人は仲直りし、三郎はみんなに栗を分ける。

九月七日(水)

 暑い日となり、放課後皆でさいかち淵へ行く。三郎がみんなの泳ぎを笑い、一郎は決まりが悪くてみんなと石取りを始める。三郎も参加する。大人たちがやって来て発破漁をする。みんな下流で隠れて魚を取る。三郎が大人のところに魚を返しに行き、みんなは笑う。

変な男が現れ、みんなはタバコ専売局の人が三郎を捕まえに来たと面って三郎を囲んで守り、男を囃し立てる。「あんまり川をにごすなよ・・・って」

九月八日(木)

 朝、佐太郎が毒もみ漁の山椒の粉を持ってくる。放課後、さいから淵で佐太郎が毒もみをするが、魚は浮いてこない。決まりが悪い佐太郎は鬼ごっこをしようと言う。みんなは追いかけたり捕まえたりして、最後に三郎が鬼になる。嘉助が三郎を馬鹿にすると三郎は本気になって嘉助を捕まえて引っぱり回す。嘉助はもうやめたと言い、みんなは岸に上がる。そのとき天候が急変し、雷雨となる。どこからともなく「雨はざっこざっこ雨三郎・・・」と聞こえ、みんなも声を揃える。恐くなった三郎はぶるぶる震える。

九月十二日(月)

 「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」一郎は夢の中でこの歌を聞く。起きてみると外は暴風雨。一郎は空を見上げて胸騒ぎに襲われる。急いで嘉助をさそって学校に行くと先生は三郎が父の仕事の都合で昨日去ったと言う。嘉助はやっぱり又三郎が飛んで行ったのだと言い、一郎と嘉助は相手が本当はどうおもっているのかと顔を見合わせる。

 高田三郎は村の子が持っている常識が通用しない転校生。村の子供たちは三郎の異様な言動に戸惑いながらも野良遊びを通して親交を深めてゆく。嘉助たちは、利発で力もある三郎少年に魅かれながらも、最後には村の子たちだけで結束して三郎を疎外してしまう。それからふっつりと三郎との交流が途絶え、永久に遊ぶ機会を失ってしまう。嘉助は、三郎が去ったことを知らされたとき、三郎の正体は、やはり伝説の風の精だったと結論づけて物語が終了する。転校してから十二日目、三郎は嘉助たちの前から消えた。父親の仕事の都合で急にひきあげることになったのだが、子どもたちには山間を吹きぬけた風として印象づけることになる。少年たちが野良遊びを楽しみながら墜落死や溺死を危うく回避する経験を通して「魔」の本質を見抜き、本能的に団結して仲間から魔を追い出してしまうことで幼さを卒業する。しかしその代償として二度と風の精とは遊べなくなってしまうという、命を賭けた通過儀礼のプロセスが作品中に織り込まれている。三郎は単なる転校生だったという説、風の又三郎が化けていたという説のほか、よそ者である三郎に又三郎が憑依していたなどの説があるが、宮沢賢治は彼の正体を分からずじまいで終わらせている。この小説(童話)は、なにげない子どもたちの日常の物語なのだが、嘉助の目線で読むとちょと怖いが、親しみのもてる超現実的な世界が開けてくる。ふっと、こどもの世界は万華鏡の世界なのかもしれないと思わせる。宮沢賢治の作品に流れる『共生の思想』である。それは生き物にも、自然にも通じるものである。

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大航の高校入学

 「大航」Ca390274_3  おめでとう ( ̄ー ̄)ニヤリ

いつの間にか・・・snail

高校入学・・・snail

本当かぃ・・・snail

嘘ッ~・・・snail

で~なぃsnail

とにかくおめでとう( ̄ー ̄)ニヤリ

chinabd1941802@sea.chukai.ne.jp

Ca390276_2

さくらさくらgood

さくらの弥生sun

咲ぃた・咲ぃたsun

さくらgood

大航君good

レッツラーゴーgood                      

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くちべらし

全員が全員ではないけど

男児嬰児の口減らし

臍のうが・・・長いままで・・・鼻と口を古紙で覆られ

その古紙にゆっくりと水を垂らされ

息が出来ないようになって

命がなくなっていくそんな残酷な

行為が、ごく当たり前のこととして

ネパール・インド・パキスタン・カシミールにあった。

全員が全員ではないけど

男児嬰児の口減らし

臍のうが・・・長いままで・・・

深さ70cmぐらいの

穴の中に・・・入れられて

いきなり・・・土をかぶせられる。

そんな残酷な行為が

ごく当たり前のこととして

ネパール・インド・パキスタン・カシミールにあった。

そんな中で女の子はまだまし

7~8歳になったら、人身売買が・・・

あるけど、それでも命だけはある。

そんな行為がごく当たり前のこととして

ネパール・インド・パキスタン・カシミールにあった。

そんな事を・・・そんな事実を・・・真近に見て

そんな子供達の命が残せるものなら

残してあげたい・・・

もしかして

終戦後の自分ではなかったかと思うと・・・

いてもたってもいられなくて・・・

誰かが

立ち上がらなければ、永々として

こんな事が続くと思うと

「じ~っと」して居れなかった。

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