風の又三郎
谷川の岸の小さな小学校に、ある風の強い日、不思議な少年が転校してくる。少年は地元の子供たちに風の神の子ではないかという疑念とともに受け入れられ、さまざまな刺激的行動の末に去っていく。その間の村の子供たちの心象風景を現実と幻想の交錯として描いた物語。
主な登場人物
風の又三郎
地元で伝説となっている風の神様の子。神というよりも悪霊に近い存在。作品中では、謎の転校生のあだ名であり、直接登場しないものの、子供たちの精神世界における主役となっている。
三郎
本名高田三郎。村に転校してきた謎の少年。尋常小学校の5年生だが、厚かましい友人に一本しかない鉛筆をやったり、口論の後、先に謝ったりするいさぎよさをもっている。人の気を引こうとする面があり、意地悪に対しては仕返したり、口論で言い負かし、手加減を忘れて友達を溺れさせたりするような少年。鉱山技師の子と説明されるが、村の子供たちは彼を、風の又三郎ではないかと怪しむ。
嘉助
尋常小学校の5年生。ひょうきん者でリーダーシップがあり、三郎のことを又三郎だと最初に指摘した張本人。
一郎(孝一)
学校でただ一人の6年生。級長であり、皆からは一目置かれている。嘉助の従兄弟。一郎には兄もいる。最初一郎は嘉助の又三郎説を否定していたが最後には確信が持てなくなる。
耕助
三郎をいじめて、仕返しを受けた挙句、口論となって負けてしまう。
あらすじ
九月一日(木)
「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」谷川の岸の小学校の朝。二人の一年生が登校してきて、校庭から教室の中に見慣れぬ姿の少年が見つけて泣いてしまう。嘉助たちもやって来る。六年生の一郎もやって来て教室の中の少年に声をかけるが通じない。風が吹いてきて少年はにやりと笑う。嘉助が風の又三郎だと叫び、みんなもそう思うが、外のけんか騒ぎのうちに少年は姿を消す。そのうちに先生が出て来て、あの少年もその後からついて来る。みんなで整列したしたあと教室に入ると、先生から少年は北海道から転校してきた高田三郎(五年)だと聞く。教室のうしろに三郎の父が現れ、三郎と一緒に帰っていく。先生は三郎の父が鉱山師であるという。
山間の小さな学校(分教場)に変わった姿の転校生(高田三郎)が現れ、みんなは伝説の風の精、風の又三郎だと思う。
九月二日(金)
一郎と嘉助は朝早くから校庭で三郎を待つ。三郎がやって来てみんなにあいさつをするがみんなは返事をしない。三郎が校庭を歩測するように歩くと、つむじ風が起こって、嘉助は「やっぱり又三郎」だと叫ぶ。教室の中で佐太郎が妹のかよの鉛筆を横取りすると、三郎が佐太郎に自分の鉛筆を与える。一郎はそれを見て変な気持ちがする。授業が始まり、数学では鉛筆のない三郎が消し炭で計算している。彼(高田三郎)は学校で少し変わった態度を見せ、みんなを緊張させる。
九月四日(日)
一郎はみんなをさそい、途中で三郎と落ち合って上の野原に向かう。途上、三郎はみんなのわからないことを言う。上の野原に着くと一郎の兄さんが迎える。兄さんは土手の中から出るなと言う。嘉助は土手の入口の丸太を外してしまう。三郎は放牧馬を恐がるので冷やかされ、それなら競馬ごっこをしようと言う。土手から逃げ出した馬を三郎と嘉助が追う。嘉助は悪天候の道に迷って恐ろしい谷に行き当たり、そのあととうとう倒れてしまう。そのとき、三郎がガラスマントを着て空に舞い上がるのを見る。一郎の兄さんが探しに来て嘉助と三郎は助かる。帰り道、嘉助は三郎が風の神の子だと言うが、一郎は否定する。
九月六日(火)
放課後耕助がみんなをさそい山葡萄採りに行く。耕助はいやいや三郎も連れて行く。途中、畑のタバコの葉をむしった三郎を耕助はしつこく非難する。葡萄の藪で耕助はみんなあんまりとるなと言うので三郎は一人まだ白い栗を取る。三郎が木の上から耕助にしずくをかけて言い争いになる。耕助はこの世に風などいらないと言い、三郎は一つずつ例を挙げろと迫る。最後に耕助の答えがおかしいので笑いとなり、二人は仲直りし、三郎はみんなに栗を分ける。
九月七日(水)
暑い日となり、放課後皆でさいかち淵へ行く。三郎がみんなの泳ぎを笑い、一郎は決まりが悪くてみんなと石取りを始める。三郎も参加する。大人たちがやって来て発破漁をする。みんな下流で隠れて魚を取る。三郎が大人のところに魚を返しに行き、みんなは笑う。
変な男が現れ、みんなはタバコ専売局の人が三郎を捕まえに来たと面って三郎を囲んで守り、男を囃し立てる。「あんまり川をにごすなよ・・・って」
九月八日(木)
朝、佐太郎が毒もみ漁の山椒の粉を持ってくる。放課後、さいから淵で佐太郎が毒もみをするが、魚は浮いてこない。決まりが悪い佐太郎は鬼ごっこをしようと言う。みんなは追いかけたり捕まえたりして、最後に三郎が鬼になる。嘉助が三郎を馬鹿にすると三郎は本気になって嘉助を捕まえて引っぱり回す。嘉助はもうやめたと言い、みんなは岸に上がる。そのとき天候が急変し、雷雨となる。どこからともなく「雨はざっこざっこ雨三郎・・・」と聞こえ、みんなも声を揃える。恐くなった三郎はぶるぶる震える。
九月十二日(月)
「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」一郎は夢の中でこの歌を聞く。起きてみると外は暴風雨。一郎は空を見上げて胸騒ぎに襲われる。急いで嘉助をさそって学校に行くと先生は三郎が父の仕事の都合で昨日去ったと言う。嘉助はやっぱり又三郎が飛んで行ったのだと言い、一郎と嘉助は相手が本当はどうおもっているのかと顔を見合わせる。
高田三郎は村の子が持っている常識が通用しない転校生。村の子供たちは三郎の異様な言動に戸惑いながらも野良遊びを通して親交を深めてゆく。嘉助たちは、利発で力もある三郎少年に魅かれながらも、最後には村の子たちだけで結束して三郎を疎外してしまう。それからふっつりと三郎との交流が途絶え、永久に遊ぶ機会を失ってしまう。嘉助は、三郎が去ったことを知らされたとき、三郎の正体は、やはり伝説の風の精だったと結論づけて物語が終了する。転校してから十二日目、三郎は嘉助たちの前から消えた。父親の仕事の都合で急にひきあげることになったのだが、子どもたちには山間を吹きぬけた風として印象づけることになる。少年たちが野良遊びを楽しみながら墜落死や溺死を危うく回避する経験を通して「魔」の本質を見抜き、本能的に団結して仲間から魔を追い出してしまうことで幼さを卒業する。しかしその代償として二度と風の精とは遊べなくなってしまうという、命を賭けた通過儀礼のプロセスが作品中に織り込まれている。三郎は単なる転校生だったという説、風の又三郎が化けていたという説のほか、よそ者である三郎に又三郎が憑依していたなどの説があるが、宮沢賢治は彼の正体を分からずじまいで終わらせている。この小説(童話)は、なにげない子どもたちの日常の物語なのだが、嘉助の目線で読むとちょと怖いが、親しみのもてる超現実的な世界が開けてくる。ふっと、こどもの世界は万華鏡の世界なのかもしれないと思わせる。宮沢賢治の作品に流れる『共生の思想』である。それは生き物にも、自然にも通じるものである。
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